« 2006年08月 | メイン | 2006年10月 »
2006年09月25日
vol.96 頭のいい子に育てる?仁義を大切にする子に育てる?
最近少年犯罪が多発しています。
「まさかあの子が?頭のいい子でしたよ」と周囲の人は不思議がります。
政治家は教育改革こそ重要課題だと口をそろえます。
彼らは大抵小学校から家庭教師を付けて学んだ、超めぐまれっ子でしょう。
愛国心を教わったことはあるのでしょうか。
私も、そして子供たち3人も家庭教師の世話になっていません。
貧しさから抜け出したいと、働くことで精一杯だったように思います。
一方、孫達は皆早くから塾通いですから、家庭教師の世話になることでしょう。
時代環境の違いであり、豊かな社会の賜物かもしれません。
大志を抱き勉強して偉くなることは良いことですが、
頭のいい人が社会に溶け込めない姿を見るに付け気の毒に思います。
人間として頭でっかちになり、大切なものを学ぶ機会がなかった結果でしょう。
たまたま私は子供の頃、日曜学校に通い、ボーイスカウトに所属していました。
ここでいつも歌を歌い童謡を口ずさみ、そして礼儀や規律を教わりました。
中学では絵画部でよくスケッチに出かけ、放課後は毎日テニスに夢中でした。
勉強以外で鍛えられ、他人に優しく、助け合って生きる大切さを覚えました。
仏教や儒教やキリスト教が混ざり合った独特の精神的支柱を得たように感じます。
今日の社会は、勉強を教えるところは学校外に多くあっても、
礼儀、規律、道徳を教えてくれる人がいなくなったように思います。
私も事業を始めませんでしたら、定年後の生活は小学唱歌を歌わせながら
お花や野菜作り、海や山での遊びやキャンプ、テニス、謡、碁や将棋など
子供達の趣味拡大につながる手伝いをしてあげれたと思うことです。
些細ではありますが、先ずは孫に碁でも教えることから始めるつもりです。
投稿者 wada : 11:06 | コメント (0) | トラックバック
2006年09月19日
vol.95 物づくりに曖昧さは許されません
物づくりで一番大切なことは自分の手で実験するこだと思います。
頭の良さではなく根気強く諦めず、こだわりを持って実験し続けることです。
めんどくさがりやでは務まらず、物づくりに曖昧さは許されません。
勿論物づくりが好きで愛情を持ち、かつ注意深い観察能力は求められます。
かつて私がサラリーマンであった頃、全国から集った管理者研修の場で
議論に夢中になり、曖昧さを徹底的に追求する私の性癖を見て、
「ゼネラルマネージャーにはなれませんね。日本語がそうであるように
曖昧さを許容することが管理者には大切だ」と忠告されたことがあります。
小泉総理の支持率が高かった理由の一つは、他の政治家と違って
ワンフレーズではあっても、こだわりと歯切れの良い語り口が受けたと思います。
創造的研究者はこだわりを持って真理を追及する人間です。
この点でどこかしら小泉総理に似たところがあり愛着を感じます。
こだわりとは対照的に、多様性という言葉が重宝に使われます。
自民党の総裁選を見てもそうですが、多くの政治家は多様性やバランス感覚を
大切にするあまり、曖昧な答弁をすることが、政治家を長く続けられる秘訣だと
考えているように私には思えます。何か空虚な物足りなさを感じますが、
事務屋さんの世界では至極当たり前のことかもしれません。
投稿者 wada : 10:27 | コメント (0) | トラックバック
2006年09月11日
vol.94 人間愛、人間尊重を感じられる社会に住みたいものです
2500年も前に、釈迦やキリストや孔子は一番大切なものは愛だと説きました。
慈悲であり、博愛であり、仁であります。仁とは人を愛することです。
現代風に言えば、優しさ、思いやり、気配りで、経営では人間尊重でしょう。
これまでも戦争は絶えませんでしたが、映像や言葉で心が傷つくことはありませんで
した。
人種や宗教の対立でテロが頻発し、意見の違う人を抹殺する社会現象は今日的です。
今夏は庭にニガウリを植えたお陰で、毎日食事時に新しい発見をすることができまし
た。
蔓が伸びるにつれ、先導役としての触手(?)が5〜10センチ間隔で支柱に巻きつ
き、
やがて生まれる重い実(種)の安全・安定を図り、子孫繁栄を確かなものにしていま
す。
暑い夏をものともせず沢山の花をつけ、蝶などと共生して逞しく生きています。
畑が遠くになるにつれ、手入れも怠り雑草に負けて種の保存さえ危うくなります。
人間、家族も同じです。長女の孫とは生活を共にし、彼らの成長を毎日見守っていま
す。
長男・次男の孫達とは1年1回会うか会わないかで、愛情も生まれにくいと感じます。
殺人事件が多発する社会ですが、人間関係が希薄になれば人を愛することもできませ
ん。
IT社会は人を薄情にし、映像に頼る社会は考える力を剥奪するかもしれません。
自然や植物と共に生き、注いだ愛情に応えてくれる植物のあることに感謝する毎日で
す。
投稿者 wada : 16:25 | コメント (0) | トラックバック
2006年09月04日
vol.93 昨今の政治の流れに不安を感じます
先月下旬、徳山高専土木建築学科を訪れた直後に研究室内で殺人事件が起こりまし
た。
日本のどこかで毎日のように殺人事件が起こり、崩壊しつつある日本社会を見る思い
です。
最先端の研究成果を聞きに出かけましたが、偶然そこで事件が起こり他人事とは思え
ません。
昨年の今頃は総理の放った刺客候補者を毎日テレビで見て、殺人行為だなと思った私
です。
今私の一番の心配ごとは、先の戦争を正義の戦争だった正当化する自民党の動きで
す。
小泉総理の8月15日の靖国参拝を機に、多くの国民が改めて太平洋戦争を考えた事で
しょう。
一方で、多数の自民党議員がテレビを通じて「東京裁判否定史観」を述べていまし
た。
A級戦犯にどんな罪があると言うのか、あの戦争はアジア諸国を帝国主義から開放し
た
正義の戦争だと言わんばかりの発言をしていました。
次の総理が安倍さんだと読み、リーダーになる人の考え方と全く同じだとの思い、
或いはリ-ダーに付和雷同する発言だったとしか私には見えません。
総裁選で安倍一色にまとまった今回の自民党議員の行動とどこか似ていると思いまし
た。
安倍さんが言う「先の敗戦は歴史家の判断に任せるもの」ではなく、政治家は勿論
国民一人一人が考えねばならない前例のない大失敗事例です。
私の妻の実家は廣島の爆心地(平和公園内)にあって家を失い、私は7月27日の徳山
燃料廠の爆撃と8月14日の光海軍工廠の爆撃を体験し、戦争で家族4人(男性ばかり)
を失いました。
戦争を知らない国会議員の「戦犯となった指導者に責任はなかった」発言には驚きま
した。
「戦争のない平和で安全な日本を築くこと」こそが一番大切な国会議員の務めでしょ
う。
何か危険な社会の風潮が国会議員にも見受けられ大変心配です。

