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2006年01月30日
vol.53 ライブドア事件は時代の鏡?
ヤーコンを全国に普及させたいとの思いで、楽天、ヤフー、ライブドアショップに出店しています。
この中でライブドアショップの窓口担当者は他の2社と違い、
ショップ運営に熱心でないように感じていました。
今にして思えば実業を見せかける一部門であって、M&A部門のみ重視していたのでしょう。
堀江前社長の存在を知ったのは近鉄バッファローズの経営に名乗りを上げた時点からです。
その後、衆議院選挙に出たりテレビ番組に出ている姿を見て
あれで社長業が務まるのだろうかと不思議に思っていました。
これらの疑問が今回の事件でやっと解けました。
経営にとって企業理念やビジョンが大切であり、
時価総額を世界一にするというのは目標にすぎません。
又、社内のコミュニケーションがすべてメールと言うのも珍しい会社です。
挨拶をしても返事が返らないとは人間放棄です。
”挨拶をする”は教育の出発点ですから。
今回の事件を見抜けなかった、総理大臣、経団連会長、東証上場審査員等によって
多くの国民が事件に巻き込まれ多大な損失を受けました。
時代の寵児も転がり落ち始めると早い。
小泉劇場も私にはダブって見えていました。
私は一切株をやらないと決めていますので、株による損得はありません。
自分の一生を考えると、株をやってもトータルでは平均化して損得なしと、歴史に学んでいるつもりです。
投資の勧誘が多いのですが、迷わず即座にお断りできるのも、その効用だと思います。
投稿者 wada : 16:36 | コメント (14) | トラックバック
2006年01月23日
vol.52 安易に多用される”改革”と言う言葉
数年前、長男が地元の市長選に出たとき、「真の改革」と言う言葉をポスターに使いました。
私が会社勤めで知った言葉に「改善」があり、改善提案が全社運動としてありました。
一方自分の所属する研究所では、改善でも改革でもなく,革新でした。
「他社のやらないことをやれ。他社がやっていることは止めよ」でした。
社長は種々の場で、「変革」「変身」と言う言葉を良く使っていました。
今は改革程度では間に合わない。各自変身し、会社を変えて下さいと。
政治の世界は国から地方に至るまで改革です。どの都市の長も「日本一の住みよい街づくり」を叫びますが、
実体は画一的で変わりばえのしない都市風景であり、個性のない町ばかりです。
現在の日本は改革程度では間に合わず、明治維新にも匹敵する変革、革命が必要ではないのでしょうか。
変革と言えば、本欄に投書された岐阜の三宅さんのご意見”廃県置藩”を思い出します。
個性ある街づくりは昔の藩に戻すこと、代表例は上杉鷹山の米澤藩だとののことです。
長男も市町村合併に反対の現職に対し、広域合併をして30万人都市づくりを訴えての出馬でした。
将来、国は外交、防衛などに特化し、30万都市にすべての自治権を与える時代が来るとの考えからです。
政治家も、経営も、物づくりも皆、時代の先を読む先見性が一番求められます。
投稿者 wada : 19:40 | コメント (67) | トラックバック
2006年01月17日
vol.51 この度の大寒波でヤーコンの大半を凍傷で損失
言うまでもなく農産物の収穫は天候に左右されます。
昨年まで良くできたから今年も大丈夫だとは言えず、むしろ5年に1度は
不作を覚悟するように先輩から指導は受けていました。
私共のように冬でも比較的温暖な地方では、必要に応じて2〜3月まで、
その都度ヤーコンを収穫していました。特に気象庁の「今冬は暖冬」との予報を信
じ、
12月の中旬から収穫に入る段取りでした。
ところが記録に残るほどの大寒波と豪雪に、日本中が見舞われ、
しかも長期にわたり居座られたのです。その結果、大半を凍傷に合わせてしまい
凍傷に弱いヤーコンを殆どダメにしてしまいました。
あわてて日本各地から取り寄せましたが、同じようなものでした。
注文を頂いた沢山の消費者の方にご迷惑をかける結果となりました。
平成3年からヤーコンを取り扱っていますが、初めての経験でした。
自然は沢山の恵みを与えてくれますが、怖い面をも知らねばなりません。
投稿者 wada : 09:35 | コメント (23) | トラックバック
2006年01月13日
vol.50 人は置かれた立場で物を言う
1月10日付の日経新聞に、前東大総長の佐々木毅、学習院大教授が寄稿されています。
科学技術関係の国家予算が特別扱いで多く、文系などの高等教育予算は少なく、
OECD諸国中最低水準であると嘆かれています。
本主張は先生の置かれた立場でものを言っておられるように私には思えます。
文系の場合、知識教育やディベートの機会又は場の提供があれば学問を習得できるのに対して、
技術系の場合は、結論を導き出す上で最も適した評価手段を持たないと前に進みません。
評価手段、設備を持つために莫大なお金がかかります。
例えば医者の場合が分かり易いと思います。
医学部で体系的な知識を身につけた医師が現場で患者に対面したとき、
先ず患者に体調を崩した経緯を聞くでしょう。どんな名医でも沢山の情報を持たないと判断できません。
体温、血液や尿の検査、血圧、血糖値、X線、CTスキャン、超音波測定、内視鏡カメラ等々を
駆使して情報を集め、総合判断して結論を出すはずです。
これらの評価手段となる設備機器類を備えるのにお金がかかります。
理系の大学や民間の研究機関もこれと同じです。ノーベル賞の田中耕一さんが開発した
蛋白質の分析機器も生命科学の研究には欠かせない必需品です。
佐々木先生は、このことを十分承知の上で文系の国家予算を増やすよう努力されているのでしょう。
サラリーマン時代、自分の立場や所属部署の立場を守るために発言することの如何に多かったことか
会社を経営してみて分かることが多く、恥ずかしく思う次第です。
現在でも物づくり(研究開発)に力が入りすぎ、バランスを欠く習性は直らないようです。
2006年01月11日
vol.49 松下幸之助の太平洋戦争敗北見解に敬服
松下幸之助は物づくり人づくりに長け、日本人の5人に入る偉人だと尊敬しています。
1月10日付けの日経新聞に作家の津本陽氏が書いておられます。
第二次世界大戦で敗北を喫した軍部の指導者と、
明治の45年間で日本を世界の五大強国にまで繁栄させた維新の元勲達を比較する。
前者の軍の指導者達は、両親のもとで勉学に励み、難関を突破して士官学校、兵学校の生徒となり、
卒業して就職するときは将校となり、多数の部下から敬礼を受けた。
優秀者はさらに陸海軍大学校に入り支配者となった。
彼らは学問と演習しか知らず、社会の実相に触れなかったために、実戦を演習と取り違え、
多数の国民を死に追いやり自滅した。
一方、後者(維新の元勲)は社会の辛や甘さを知り尽くしていた。
徳川260年余りの間、下積みの生活を強いられ、昇進の見込みのない暗黒の人生を
代々重ねてきた下級武士たちであった。
彼らは押えつけられていたエネルギーを動乱期に一気に噴出させた。
彼らが出世して指導者になると戦争すれば勝った。負ける戦争はしなかった。
恵まれた形で地位が上がり、日本の陸海軍を率いた将校たちとは現実認識が全く違っていたと
松下幸之助の見る目は厳しくもシンプルであります。
先に本欄で、日露戦争に勝った事が太平洋戦争に負けた遠因であり、戦後世界第二の
経済大国になったことが、今日の日本社会の体たらくを招いたのでなければと思いながら
書きました。成功体験は貴重で大切なことですが、一方で誤判断のもとにもなります。
時代が変わり人が変われば尚更のことです。松下翁の物の見方・考え方には頭が下がります。
投稿者 wada : 18:22 | コメント (19) | トラックバック
2006年01月10日
vol.48 ヤーコンの保存方法にも異変?
新年を迎え、日本を襲ったのは20年振りの大寒波。加えて日本海側は38年来の豪雪でした。
北海道でヤーコンを栽培してくださった方々も、この度の寒波は格別ひどく、
倉庫内のヤーコンが凍傷にあって出荷できない。低温庫(定温庫?)に入れたヤーコンだけは無事だった
との連絡がありました。
山口県のような温暖なところでも、氷点下を連日記録し、最高温度も10度以下(数度)と言う有様で、
室内に保管をしていたヤーコンが使えなくなりました。
ヤーコンは蒟蒻のように冷凍保存ができません。凍傷に遇うと細胞組織が破壊され、
サクサク感がなくなるばかりか、腐ったような状態になります。
ヤーコンの保存について、私の掴んだポイントが2〜3あります。
1、温度は0〜10℃。好ましくは5℃に保つ
2、水分が蒸発し乾燥しないように袋に入れて軽く密閉する
3、袋を積み重ねた重みで、芋がつぶれないようにする
などです。
この程度では秋に収穫したものを2〜3月まで保存するのがやっとです。
元四国農試の中西先生は収穫直後の芋をポリ袋に入れて冷蔵しておくと1年保存できると、
現物を見せてくださいました。
一方、地下室や年中温度が一定のトンネル内で保存すると、6月位までは大丈夫のようです。
韓国での話もそうでした。
しかし、今年は寒波が早めに襲来し、地下室への移動が遅れたとの産地からの報告もありました。
全国各地から沢山の注文を頂戴し、すべての方に送れれば良いがと、
今年の異常気象に心を痛めています。
投稿者 wada : 10:41 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月06日
vol.47 日曜菜園の実践
人が生きる上で一番大切な「食」の世界が、どこかおかしいと感じて随分久しくなります。
特に東京で単身生活を送った平成元年から5年のことです。
食料の買出しから料理まで自分でするしかありません。
買い求めるとき必ず見るのは賞味期限と原材料名です。
化学屋ですから添加物の構造と物性が頭をよぎります。
合成化学品を沢山使っています。
挙げればキリがありませんがパンもその一つです。
ラーメンも月に1回以上食べないように先輩から指導を受けていました。
対策の一つに、おむすびを沢山作り冷凍しておきます。
電子レンジで炊き立てのご飯にできます。
お味噌汁もどっさり作ります。残りはカレー粉を入れたり唐辛子を入れて雑炊にします。
パンを食べないで済ませました。
単身赴任のお陰で、毎日していた大好きなテニスと休日のゴルフは完全に止めることができました。
平成5年に事業を興した後は、ヤーコンの栽培だけでなく、休日は野菜作りに励みました。
20アールほどのヤーコン栽培は手がかからず、かつ宅地並み課税もなく節税になりました。
150坪ほどの菜園はとても手がかかります。休日はほとんど畑か山で汗を流します。
3人の子供達にできる限りの野菜を送り夫婦二人で自己満足をしています。
ゴルフをするお金と時間があれば、大都会でも畑を借りて野菜の自給自足は可能でしょう。
すべての家庭が休日菜園を心がければ家族の絆も増し、
子供の教育に役立ち、子供の絡む事件も少なくなりましょう。
野菜作りを通して植物の成長力と自然のすばらしさを体感し、
料理を通して物づくりに関する研究開発の基本と忍耐力を身につけることができます。
子供の頃から農業の手伝いをさせてくれた親や祖父母に感謝をし、
完全な会社人間で子供に手伝いさせなかった自分を後悔しています。
時代が環境がもたらしたことでもあります。
投稿者 wada : 16:45 | コメント (216) | トラックバック
2006年01月05日
vol.46 日本の現状を心配し、子や孫たちに素直に詫びたい
新年を迎え今年も愚直に物づくり一筋に生きる決意を改めてした経緯は以下の通りです。
1月4日、地元の経済人新年互礼会に参加しました。
日本を先導するはずの国会議員3人の挨拶の中で、
景気が良くなったとか、構造改革が進んでいるなどのきれい事の話を聞き胸を痛めました。
また、大晦日から正月のテレビや新聞を見て「何か変だな」と考え込みました。
見たいテレビがなく、聴きたい歌(横文字多く言葉が貧しい)も読みたい記事もありません。
お宮に参詣する人は多く
お店にも人はあふれて、高額な福袋も飛ぶように売れているようですが、
子供の遊ぶ笑い声は聞けません。
2005年は人口が減少に転じた年となりました。
これから急速に右肩下がりの社会がやってきます。
政治家はアメリカの言いなりで動き、企業家は過去の遺産の上にあぐらを書き、
新しい物づくりへの自信を失い、
生産拠点を海外へ移し、当面のコスト競争に追われています。
官僚は官から民への掛け声もあって思考停止状態に陥り、
メディアは間違ったヒーローを作って視聴率をかせぎ、社会の堕落を助長しています。
先の大戦でなぜ日本が負けたのかを考えるため、昨年は多くの本を読みました。
陸軍の暴走を許した組織上の問題点や、マスコミも間違った世論形成に加担し、
国民も疑いを持たなかった
など色々考察されてはいますが、責任者が誰であったかは今も闇の中です。
しかし恐らく日露戦争に勝って一等国或いは横綱になった気分で過ちを犯したとすれば、
今日世界第二の経済大国になり
現在もその延長線上で過ちを犯しているのではないかと考えてしまいます。
官僚の莫大な無駄遣いにもかかわらず私達は年金で生活できますが、
子供達はとっくにできないことを知っています。
私達の両親が負け戦を止められなかったこと詫びていたように、
私達は子供や孫達に詫びねばなりません。
こんな借金大国にし、事件の多発する暗い社会にしたのは、他ならぬ私たち自身です。
謝罪で済む話ではありません。
せめてヤーコンにでもこだわり、食と農と子や孫の健康のために働くしか私にはできないと言葉ではなく汗を流し、かつ心で詫びるお正月でした。

